中国の一部で、 茶が飲まれ始める
紀元前2737年頃 | 中国・神農皇帝(伝説上の神様)により、茶葉の利用が発見されていたという伝説あり。 |
紀元前59年 | 中国で書かれた『僮約(奴隷との契約文)』に茶の記録が初めて登場。 |
世界の紅茶と文化
中国で生まれた茶がヨーロッパに伝わり、その後イギリスから紅茶として日本に渡り100年以上が経ちました。その道のりには数々のエピソードが散りばめられています。
中国の一部で、 茶が飲まれ始める
紀元前2737年頃 | 中国・神農皇帝(伝説上の神様)により、茶葉の利用が発見されていたという伝説あり。 |
紀元前59年 | 中国で書かれた『僮約(奴隷との契約文)』に茶の記録が初めて登場。 |
中国、日本で喫茶の習慣が広まる
589年 | 中国・隋王朝の代に貴族階級の間に茶が社会的飲料として普及。 |
760年 | 中国・唐王朝の代に、茶に関する世界最初の専門書『茶経』が著される。 |
815年 | 『日本後紀』に日本初の喫茶の記録。 |
1191年 | 栄西禅師が日本最初の茶書を著し、源実朝に献上。 |
1559年 | イタリア人、G・ラムージオが中国で喫茶の情報を初めて欧州に紹介。 |
ヨーロッパで贅沢品として紅茶が広まる
1609年 | オランダ、九州の平戸に商館を開き、翌年、マカオから中国茶、平戸から日本茶を本国へ送る。 |
1610年 | ヨーロッパに初めて「日本茶」が上陸、オランダ東インド会社の船が、長崎・平戸から持ち帰った。 |
1662年 | ポルトガルのブラガンサ家のキャサリンがイギリス国王チャールズ2世と結婚。持参金としてブラジル産の砂糖や中国陶磁器と茶などを持ち込んだことで、イギリスの宮廷に喫茶の風習がはじまった。 |
1689年 | イギリスが中国・広東省のアモイで茶の取引を開始。 |
人々の紅茶への関心が急激に高まる
1721年 | イギリス東インド会社が中国から茶の輸入を独占。 |
1773年 | イギリス議会が茶条例を制定。不公平な条例に反発した市民らがイギリス東インド会社の茶船を急襲し、茶箱を海に投げるなどした(ボストン茶会事件)。 |
サー・トーマス・リプトン 誕生、紅茶の取引が自由となり世界中に広まり始める
1833年 | イギリスが中国茶の独占を廃止し、自由競争に。 |
1839年 | イギリスがアッサムカンパニーを設立し、アッサム地方の開拓が本格的に。 |
1840年 | 茶とアヘンの取引を背景に、清王朝とイギリスの間でアヘン戦争勃発。またこの頃、第7代ベッドフォード公爵夫人アンナ・マリアによって、イギリスでアフタヌーンティーの習慣がはじまる |
1842年 | アヘン戦争の末、清朝はイギリスに降伏。「南京条約」により、イギリスは香港を得る。 |
1850年 | トーマス・リプトン、スコットランド・グラスゴーに生まれる。 アメリカのオリエンタル号が中国・ロンドン間を約100日という記録で中国茶を運ぶ。新茶をいち早くロンドンへ運んだ船に賞金が出されるティークリッパー・レースの時代のはじまり。 |
1871年 | 「リプトン・マーケット」第一号店がグラスゴーにオープン。 |
1890年 | トーマス・リプトンがセイロン島で大規模茶園経営を開始。 |
1895年 | リプトン紅茶がイギリス王室御用達となる。 |
外国産ブランドとして初めて、リプトン紅茶が日本へ伝わる
1904年 | 「セントルイス万国博」でアイスティーが誕生。 |
1906年 | 日本初の外国産ブランド紅茶として、イギリスからリプトン紅茶が輸入される。 |
1930年 | 日本初のティーハウス「リプトン」が京都にオープン。 |
1961年 | ティーバック自動包装機械の導入により、日本でティーバックの製造が開始される。 |
1971年 | 日本で外国産紅茶の輸入が自由化される。 |
世界中でリプトン紅茶が、多くの人に親しまれている
2006年 | 日本にリプトン紅茶が来航して100周年を迎える。 |
2014年 | リプトンのプレミアムブランド「サー・トーマス・リプトン」が一般向けに販売開始。 |
2015年 | <125周年>「サー・トーマス・リプトン ティーハウス」が銀座にリニューアルオープン。 |